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米中対立時代になって、安全保障の見地から先端技術戦争が激化している。その象徴とされるのが、あらゆる産業のコメ、核心プロダクツである「半導体」(シリコン・チップ)だ。シリコン・チップ生産の最先端技術を中国に与えない(いわゆる中国デカップリング=中国切り離し)として、バイデン政権は昨年8月に「CHIPS法」(通称)を成立させた。
以来、世界の半導体産業が激変することになったが、この最大の恩恵を受けるのが、なんとシンガポールとマレーシアである。
なぜ、この2国が恩恵を受けるのだろうか?
それは、この2国ともアメリカとも中国とも“良好な関係”にあるからだ。ウクライナ戦争によって2分化された世界で、シンガポールもマレーシアもロシア制裁には加わらず、中立を維持している。
また、この2国ともすでに半導体産業の集積がある。世界の有力な半導体産業が進出しており、そこで生産された半導体は世界中に輸出されている。日本貿易振興機構(ジェトロ)によると、半導体輸出はシンガポールが世界第4位、マレーシアは第6位と、第7位のアメリカ、第8位の日本をしのいでいるのだ。
まずは、シンガポールについて見ていきたい。シンガポールと言えば、オフショア(タックスヘイブン)の金融センター、富裕層が暮らす都市、マリーナベイサンズ、マーライオン、ナイトサファリなどが有名な観光都市…というのが、一般的なイメージだろう。
しかし、シンガポールは「ものづくり大国」でもあるのだ。一時期、シンガポールの製造業は衰退したが、現在ではGDPの23%を占めるまでになっている。このうちの3分の1、なんとGDPの6.8%を半導体産業が占めているのだ。
現在、シンガポールには、数多くの多国籍企業が工場を持っている。とくにハイテク企業の工場が多いが、その中でも半導体関連では世界トップクラスの企業が集まっている。
例えば、アメリカのマイクロン・テクノロジーやブロードコム、テキサス・インスツルメンツ、欧州のSTマイクロエレクトロニクスやインフィニオンテクノロジーズ、そして台湾のメディアテックやUMC(ユナイテッド・マイクロエレクトロニクス)などが、工場を稼働させている。そして、米中半導体戦争により、さらに多くの半導体産業が、いまシンガポールに集まってこようとしている。
半導体産業というのは、巨大産業である。莫大な投資額な必要なうえ、周辺産業の裾野も広く、その波及効果も大きい。これは現在、台湾の世界一のファウンドリ(受託製造)のTSMC(台湾積体電路製造)が2024年稼働を目指して工場を建設中の熊本県菊陽町を見ればよくわかる。
もともと熊本には、ソニーグループの半導体工場や東京エレクトロンの半導体製造装置工場があったが、ここにTSMCがやって来ることが決まってからなにが起こっただろうか?
人口約4万人、農業中心の町の不動産価格は高騰し、農地を売って億万長者になった農家も出現。さらに、マンション、アパート、飲食店なども一気に盛況になった。また、高度人材が必要とあって、リスキリングによる人材養成などが活発化。まるで、昔のゴールドラッシュのような事態になっているのだ。
これは熊本に止まらない。TSMCはアメリカのアリゾナ州フェニックスでも第2工場の建設プロジェクトを進め、ここで最先端の3nm chip(nm=ナノメートル:1ミリメートルの100万分の1)の生産を始めることになった。かつてのフェニックスは砂漠のオアシス都市だったが、いまやハイテク企業が集積し、先端IT都市となっている。人口も増え、不動産価格も上昇。インフラも整備された。TSMCの追加投資によって、さらに周辺産業が集まれば、フェニックスはますますスマートシティ化していくだろう。
ちなみに半導体は微細化(回路の幅をできるだけ細くして性能を高めること)がイノベーションの鍵で、現在、各メーカーとも3ナノから2ナノを目指している。しかし、いまのところこの大量生産が可能とされているのは、TSMCと韓国サムスンだけである。
中国は大きく遅れていて、現在のところ SMIC(中芯国際集成電路製造)が14ナノの生産ができるところところまで漕ぎ着けている。ただ、最近の情報では、7ナノの製造まで技術進歩しているという。それでも、最先端からは2周遅れだ。
アメリカは、半導体の微細化技術を中国に渡さないために、「CHIPS法」をつくった。「CHIPS法」では、14ナノ以上の半導体しか中国に輸出できない。いまの5Gスマホで使われている半導体は、ほとんどが7ナノである。
日本の場合は、すでに半導体戦争で大敗してしまったので、中国よりも周回遅れである。14ナノはおろか20ナノも生産できなくなっている。そのため、経済産業省が音頭を取って「国産2ナノ半導体」をつくろうと、ラピダス(2022年発足の日の丸半導体会社)に5兆円を超える支援を決めている。しかし、目標は2025〜2030年とはるか先で、果たしてできるかどうかも危ぶまれている。
最先端の超微細の次世代半導体ばかりに注目が集まっているが、現世代の半導体も重要だ。なにしろ、ここ数年、半導体不足が世界中で叫ばれている。半導体がなければ、現在では、ほぼどんな工業製品もつくれない。クルマにも半導体が必要だ。日本はTSMCを熊本に誘致することに成功したが、ここで生産されるのは20ナノ以上という。
そこで、シンガポールが重要になってくる。ここで、現世代の半導体を生産し、さらに次世代半導体の生産の乗り出そうというのが、世界の半導体メーカーのトレンドになっている。TSMCもチップの基盤となるシリコンウエハーの新工場をつくる計画だと報じられている。TSMCと並ぶ台湾ファウンドリーのUMC(聯華電子)は今年の2月に、シンガポールに半導体工場を新設すると発表。ここでは、現世代の半導体や車載半導体の大量生産を行うという。その投資額は50億ドル以上と伝えられた。
UMCと同じく、昨年来、世界の半導体企業、半導体周辺企業の多くがシンガポールでの新工場建設、追加投資を発表している。例えば、すでに工場を持っている基板メーカーのソイテック(フランス)は、約4億ユーロ(約600億円)を投じて工場の生産能力を強化する。製造装置大手のアメリカのアプライドマテリアルズも、アメリカ国外で最大の新工場の建設に着手している。
さらに、グローバルファウンドリーズ(アメリカ)、SSMC(台湾TSMCとオランダとの合弁)も新工場をつくるという。ろ過・分離・精製技術の世界トップメーカー、ポールコーポ(アメリカ)は、すでに昨年8月から新工場を建設中である。投資額は10億ドル以上という。
前記したように、シンガポールの強みは、米中対立の中で双方と“良好な関係”を保っていることだ。シンガポールは、アメリカの対中輸出規制に触れない範囲で、半導体装置、ICチップを中国に輸出している。その額は前年同月比で増加を続けており、今年4月は半導体製造装置で9.6%増、ICチップで3.5%増(中国税関のデータ)である。これは、ほかの半導体輸出国が軒並み対中輸出額を減らしている中で、画期的なことだ。
シンガポールは、オフショアであり自由貿易港である。世界中の国とFTA(自由貿易協定)を結び、サプライチェーンのネットワークを築いている。このことが、半導体産業の集積に大いに役立ったのは間違いない。
次に半導体産業がシンガポールを選ぶ理由は、シンガポールは高度人材、ハイテク人材を数多く抱えていることだ。シンガポール国立大学(NUS)、南洋理工大学(NTU)のコンピュータサイエンスの学科は、世界トップレベルである。ちなみに、NUSのコンピュータサイエンス学位取得者のハイテク企業就職者の初任給は5800シンガポールドル(約58万円)という。日本の東大卒よりはるかに高い。現在、シンガポールの半導体業界は、約6万人の雇用を抱えており、今後、さらに雇用者は増える見込みだ。
3番目に、シンガポール政府の半導体産業を含むハイテク産業への振興策がある。シンガポール政府は2021年から2025年にかけて、研究、イノベーション、企業への投資を支援するために250億シンガポールドル(約2兆6,250億円)の予算を計上している。
マレーシアも、シンガポールに次ぐ半導体産業集積国であり、今回のアメリカの「CHIPS法」の恩恵を最も受ける。すでに、以前からマレーシアに進出していたテキサス・インスツルメンツは、半導体生産工場の増設を発表し、建設を進めている。新工場は、首都クアラルンプールとマラッカ州の既存工場の隣接地に増設される。その投資額は146億リンギ(約4,400億円)と報道されていて、工場は2025年には稼働するという。
マレーシアの最大の利点は、シンガポールより工場の運営コストを抑えられる点にある。すでに、1970年代後半から日本をはじめとするエレクトロニクス産業はマレーシアに進出しており、その集積のうえに半導体産業が乗っかった形になっている。
マレーシアの半導体産業の集積地は、ペナン州である。ペナン州では州を挙げて「ペナン・シリコンバレー計画」を進めてきていて、これまで300社以上の多国籍企業を呼び込んできた。
ペナンの半導体企業の中心は、なんといってもインテル(アメリカ)だ。インテルは、半導体の後工程であるパッケージング、テスティングで、ここに世界最大規模の工場を持っている。また、アプライド マテリアルズ(アメリカ)、KLA(アメリカ)、ASMインターナショナル(オランダ)、ASEテクノロジー・ホールディング(台湾)といった世界の半導体関連大手がペナンで工場を稼働させている。
ペナンでは、この5月23日から25日にかけ、東南アジア最大規模の半導体産業展示会「セミコン東南アジア2023」が開催された。開会式で、アフマド・ザヒド・ハミディ副首相は、マレーシアの半導体組み立て・試験・パッケージングでの市場シェアを「現在の13%から2030年までに15%に高めたい」と述べた。
現在、世界で最大規模の投資が行われている産業は、半導体産業である。この分野で覇権を握れれば、そこが世界経済をリードしていくのは間違いない。シンガポール、マレーシアを中心とした東南アジアは、その可能性が十分にある。
主要半導体メーカーでつくる世界半導体市場統計(WSTS)は、6月6日、2024年の世界の半導体市場が前年比11.8%増の約5,759億ドル(約82兆3,470億円)に達し、過去最高になるとの予測を発表した。 EV(電気自動車)、再生可能エネルギー、生成AIなど分野の成長に伴い、半導体需要は今後も拡大する一途となるのは間違いない。
多くの経済予測が、2030年には半導体産業が1兆ドル(約143兆円)を超えると予測している。はたして、中国は追いつけるのか? 日本は2ナノの生産に漕ぎ着けているのか?これは誰にもわからない。ただ、台湾から東南アジアにかけての地域が、世界の半導体覇権の行方を握るのは間違いないだろう。
新興アジアとは、ASEAN諸国にバングラディシュとインドを加えた地域。現在、世界でもっとも発展している地域で、2050年には世界の中心になっている可能性があります。そんな希望あふれる地域の最新情報、話題を伝えていきます。
※本コンテンツ「新興ASIAウォッチ」は弊社Webサイト用に特別寄稿して頂いたものとなります。
1952年、神奈川県横浜市生まれ。立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。『女性自身』編集部、『カッパブックス』編集部を経て、2002年、『光文社ペーパーバックス』を創刊し、編集長を務める。日本外国特派員協会(FCCJ)会員。2010年、光文社を退社し、フリーランスに。現在、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の両方のプロデュースを手掛けている。
著書にベストセラーとなった「資産フライト」、「出版・新聞 絶望未来」などがある。
投稿更新日:2023年06月28日
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