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いまや世界のどの国、どの都市に行っても日本人に出会う。そのたびに、日本人がグローバル化したことをつくづく感じる。とくに、東南アジアでは、ここ数年、日本人が急増している。なかでも、タイがダントツだ。
外務省の「海外在留邦人数統計」を見ると、1位アメリカ、2位中国、3位オーストラリアに次いで、タイは第4位で、7万2754人(最新の統計である2017年10月1日現在)となっているから、現在は、8万人近くの日本人がタイで暮らしているだろう。米中冷戦(貿易戦争)の影響で、「脱・中国」をする日本企業が増えているからだ。
ちなみに、都市別統計では、首都のバンコクはロサンゼルスに次いで第2位の日本人の集住都市で、5万2000人以上が暮らしている。2015年まではアジアでは上海の方が多かったが、以後、年々増えて、このままいくと、約6万8000人のロサンゼルスを抜くかもしれない。ただし、タイの在留邦人は、他の国とは違う大きな特徴がある。
海外在留邦人は、2種類に分かれる。1つは、生活の本拠を日本から海外へ移した「永住者」、もう1つは海外での生活は一時的なもので、いずれ我が国に戻るつもりの「長期滞在者」だ。外務省の統計では、日本人は「日系人」として除外されている。また、3カ月未満の滞在者は「短期滞在者」とされるので、こちらも除外される。
このような分類をもとにタイの在留邦人を見ると、なんと永住者は1割ほどで、9割が長期滞在者なのだ。これが、タイと他の国が大きく異なる点だ。
アメリカの場合は4割、オーストラリアは5割、カナダは6割が永住者である。また、ブラジルは9割が永住者である。これは、アメリカやオーストラリア、カナダなどが、英語圏、自由主義圏としての永住のメリットが大きいためであり、ブラジルはもともと日系移民の歴史があるからだ。
しかし、タイにはこのような要因がない。つまり、タイにいる在留邦人は、ほとんどが駐在員などビジネス関係の長期滞在者とその家族である。一部で長期滞在している若者もいるが、タイにはワーキングホリディがないので、多くは日系企業の現地採用で暮らしている。
これは、東南アジアの他の国でも同じだ。インドネシア、ベトナム、マレーシアなども、長期滞在者の傾向はタイとほとんど変わらない。タイは定年後の移住地、ロングステイの地というイメージがあるは、じつはそういう人はそれほど多くない。
タイの在留邦人は1990年代の初めごろは、2万人ほどだった。それが次第に増え、2000年代になると毎年、数千人規模で増えていった。とくに、バンコクの在留邦人数は、2000年以降は右肩上がりで増えてきた。
その結果、なにが起こったか?バンコク郊外、車で南に約2時間のところにあるシラチャという街が、世界でも最大の日本人街になったのである。 シラチャはいまや日本でも有名になったが、これまでここで取り上げなかったので、今回はこの街を紹介してみたい。
シラチャは、タイの人気のリゾート地パタヤの北に位置する港町である。人口は約25万人で、現在、1万人ほどの日本人がここで暮らしている。 行ってみて驚くのは、街に入ったとたんに、日本語の看板が目につき、日本料理店、ラーメン店、すし屋、居酒屋、牛丼屋、カラオケ店などが、まるで日本の街と同じようにあることだ。
街の中心には、ロビンソンというデパートがあり、ここに行くとたくさんの日本人に出会う。なにしろ、ここには大戸屋、吉野家、CoCo壱番、丸亀製麺など日本でもお馴染みの店が入居しているからだ。もちろん、マクドナルド、ケンタッキーもあり、スーパーもある。そして、そこには日本食品がほとんどそろっている。
ロビンソンと競うように、中心街に2015年10月にオープンした3階建てのイオン・ショッピングセンターがある。ここは、1階のマックスバリューがコア店舗で、すき家などの日本の飲食店のほか、ダイソーやツルハドラックなどの店が入っている。もちろん、ここに行けば日本の生活用品、食品はほぼすべてそろう。
街の中心から車で30分ほどの郊外には、J-PARKという日本の江戸時代をモチーフにした複合施設もある。ここにも、和食さとや、幸楽苑らーめん、さぼてん、調風、ラブクレープ原宿など数多くの日本の飲食店が入居している。また、マックスバリュー、ダイソーも入っている。タイは親日国だけに、日本のものを求めて、ここにやって来る地元のタイ人も多い。
シラチャで暮らす日本企業の駐在員に話を聞くと、「この街には日本のものはなんでもそろっているので、不自由はしません。ただ、最近困っているのは、日本人が増えすぎて住む物件が足りなくなっていること。家賃も値上がりしていますの、新しく来る人間は物件探しに苦労しています」と言う。
2010年ごろまでは、駐在員といっても単身赴任者が多かったが、2009年に日本人学校ができてからは、家族で来る人が多くなったという。現在、シラチャの日本人学校は500名ほどの生徒がいる。もちろん、日本人家族向けの保育園、幼稚園もある。医療機関も日本人向けに日本語が話せる医師、看護師がそろっている。日本人専用のデスクがある病院では、日本語のできるスタッフが通訳してくれるという。
日本のメディア環境も整っている。ネット環境があれば、日本のテレビ番組がリアルタイム、LIVEで見られる。NHK、民放、BSからスターチャンネルなど50以上のチャンネルがあり、業者に頼めばすぐに配信される。また、日本語のフリーペーパー「OHAYO Sriracha + Pattaya」(「おはよー シラチャ+パタヤ」)が発行されていて、日本関係の情報が網羅されている。
私はこれまで、海外でいくつもの日本人街を訪れてきたが、現在のシラチャに勝る日本人街はない。ロサンゼルスのリトルトーキョー、サンフランシスコのジャパンタウン、上海の虹橋・古北などは、いま在住者が減って活気を失っている。それに比べると、シラチャははるかに活気がある。
では、なぜシラチャは、世界最大規模の日本人街になったのだろうか?それは、この街の南のレムチャバンが国際貿易港になり、周辺にいくつも工業団地ができたからである。レムチャバン港は1991年に開港すると、年々貨物取引量を増やし、1997年からはタイ最大の貿易港となっている。港にはコンテナのターミナルがあり、タイのコンテナによる輸出入のほとんどがここを基点にしている。
シラチャ周辺の工業団地で最大のものはアマタナコン工業団地で、それ以外に、アマタシティ、サイアムイースタン、レムチャバン、ボーウィン、サハパットなどがある。これらの工業団地には、日本の自動車メーカー、トヨタ、三菱、スズキなどが工場を構え、またソニーなどの主だった電機メーカーも進出している。シラチャ周辺は、タイの製造業の集積地で、ここでつくられたクルマや電気製品はレムチャバン港から世界に向けて輸出されている。
かつては、こうした工業団地に進出した日本企業の駐在員たちは、バンコクに住んでいた。各社は、バンコクから社員たちを送迎バスで工業団地に送り迎えしてきた。しかし、バンコクの交通渋滞はひどく、時間がかかりすぎるようになり、近いシラチャに移り住む駐在員が増えたのである。
シラチャでは、日本人会により、毎年「シラチャ日本祭り」が行われている。今年は記念すべき第10回で、シラチャ・スカパープ公園で11月23日(土)・24日(日) に行われる。
「脱・中国」が進めば、タイは東南アジアの製造業のハブになる。となると、今後、シラチャはますます発展するだろう。
新興アジアとは、ASEAN諸国にバングラディシュとインドを加えた地域。現在、世界でもっとも発展している地域で、2050年には世界の中心になっている可能性があります。そんな希望あふれる地域の最新情報、話題を伝えていきます。
※本コンテンツ「新興ASIAウォッチ」は弊社Webサイト用に特別寄稿して頂いたものとなります。
1952年、神奈川県横浜市生まれ。立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。『女性自身』編集部、『カッパブックス』編集部を経て、2002年、『光文社ペーパーバックス』を創刊し、編集長を務める。日本外国特派員協会(FCCJ)会員。2010年、光文社を退社し、フリーランスに。現在、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の両方のプロデュースを手掛けている。
著書にベストセラーとなった「資産フライト」、「出版・新聞 絶望未来」などがある。
投稿更新日:2019年09月27日
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