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いま、日本各地の小規模映画館で、ミャンマー映画『夜明けへの道』が不定期だが上映されている。監督は、軍事政権から指名手配されたコ・パウ監督で、ジャングルで潜伏生活を送りながら戦い続ける姿を自ら記録したドキュメンタリーだ。
日本のメディアでは、ウクライナ戦争とイスラエル・ハマス戦争ばかりが取り上げられるが、ミャンマーの現実も本当に悲惨だ。なにしろ、こちらは同じ国民同士が戦う内戦である。
ミャンマーで長い間続いた軍事政権が終わり、民主政権が誕生したのは2011年のこと。私は現地の状況見たさに、初めてヤンゴンの街を訪れた。街を歩いてみると、自由になった人々の活気が、そこかしこに溢れていた。
そうして、ヤンゴンの美しい街並みが見渡せるサクラタワーの最上階のラウンジで、現地駐在員たちと話し合った。
「これからミャンマーは大きく変わる」「可能性は山ほどある」と、彼らは口々に言った。そんなことが、昨日のように思い出される。
しかし、3年前、2021年2月1日、国軍は再びクーデターを起こし、アウンサンスーチー国家顧問ら民主派政権の幹部を拘束し、非常事態を宣言して全権を掌握した。その後、国軍の統制が強まると、反政府運動が激化した。いまや、ミャンマー各地で、民主化勢力と国軍が戦闘を繰り広げている。コ・パウ監督は、仲間と抗議デモを先導したために国軍に指名手配され、ジャングルに逃れた。
映画『夜明けへの道』に映し出される光景は、悲惨を極めている。国軍は、民主化勢力への徹底した弾圧を行なっているが、その状況がありのままに記録されている。
ある北部の村は、民主化勢力に協力しているということで、国軍に丸ごと空爆で焼き討ちにされた。逃げ惑う農民たち。そんな中で、破壊されて跡形もなくなった家に座り込み、呆然とするだけの農婦。
子どもたちは塹壕に逃げ込み、身を伏せて息を殺しながら、ただひたすらブッダに祈りを捧げる。また、学生たちはジャングルの中で、軍事訓練に明け暮れる。街では民主化デモが行われるが、国軍は平然と丸腰のデモ隊を銃撃する。そんな光景が、次々と映し出される。
なぜ、敬虔な仏教徒の国だというのに、こんなことになっているのだろうか。
少数民族と民主化勢力の戦闘により、この3年間で、約4500人の市民が国軍に殺害され、計約2万6000人が拘束されたという。避難民は約230万人に上ると、ミャンマーの人権団体は西側メディアに報告している。
そんな中、6月7日にヤンゴンで2026年サッカー・ワールドカップ(W杯)アジア2次予選のB組、日本vs.ミャンマーの試合が行われ、日本はミャンマーに5-0で快勝した。この快勝にメディアは盛り上がったが、私は少しも喜べなかった。
すでにB組突破が決まっていること、また、世界ランキング18位の日本が163位のミャンマー勝つのが当然であることなどもあったが、最大の理由はミャンマーの選手たちの覇気のなさ、元気のなさだ。
思い出すのは、2021年5月にサッカーW杯予選で来日し、日本戦開始前に国軍への抗議の3本指のポーズをして亡命したピエ・リヤン・アウン選手のことだ。彼はその後、難民申請が認められ、いま日本でフットサルのプレーヤーとして暮らしている。彼が当時、「国に帰ったら殺される」と言ったことを、私はいまでもはっきりと覚えている。
ミャンマーのサッカー選手たちは、軍事政権により自由を奪われ、ただの駒として使われている。ヤンゴンでは、軍事政権がカネと権力で、住民にたびたび“親軍デモ”を行わせている。同じように、サッカー選手にも“親軍”を強要し、試合を行わせて「ミャンマーは平和だ」と世界に発信させる。今回のヤンゴンでの日本戦は、そのための開催だった。
日本には、ミャンマーからの避難民、移住者、出稼ぎ労働者が数多く暮らしている。高田馬場は、そうした人々が集まり、「リトル・ヤンゴン」となっている。
彼らはこう言う。
「サッカーのミャンマー代表は国の代表ではありません。国軍の代表です」
政治とスポーツは別とはいえ、軍事政権を後押しするような試合をやらざるを得ない日本のサッカー協会が本当に情けないと思う。もっとも、同じB組には北朝鮮もいるのだから、どうしようもない。ちなみに、B組は、日本以外は、北朝鮮、ミャンマー、シリアで、みな軍事独裁国家だ。
今回のヤンゴンでのミャンマー戦を前にした5月22日、日本サッカー協会(JFA)は、ミャンマーサッカー連盟(MFF)と若手の育成や指導者の養成などで協力を行うパートナーシップ協定を締結した。日本サッカー協会の宮本恒靖会長とミャンマーサッカー連盟のゾーゾー会長は、固い握手を交わした。
これに在日ミャンマー人の有志たちは、猛然と抗議した。彼らは日本サッカー協会を訪れ、「国軍の宣伝に手を貸し、弾圧を後押しする結果となりかねない」と、協定の破棄や停止を申し入れた。
3年前の軍事クーデター以降も、日本サッカー協会はミャンマーサッカー連盟と友好関係を維持してきた。しかし、ミャンマーサッカー連盟の会長ゾーゾー氏は、ミャンマーで銀行や建設会社を経営する財閥の会長で、国軍に多額の寄付を行っている。
いまのサッカーファンは知らないだろうが、かつてのミャンマーはアジアのサッカー強豪国だった。ミャンマーではなくビルマと呼ばれていたころは、アジアの大会では、常にトップの成績を収めていた。
アジア競技大会では1966年と1970年に優勝、AFCアジアカップでは1968年に準優勝している。日本が予選で敗退した1972年ミュンヘンオリンピックにも参加し、ユース部門では1961年から1970年のAFCユース選手権(現在のAFC U20アジアカップ)で7度の優勝を果している。
しかし、軍事政権になってからは見る影もない。 2011年7月に行われたAFCアジアカップ2次予選のオマーン戦では、サポーターが暴動を起こして試合が打ち切りになり、その後、FIFAはミャンマーをW杯予選から場外された。
この処罰が解除された後、2021年5月、ミャンマーは今回と同じくW杯2次予選(2022年開催)で日本と対戦した。しかし、大迫勇也に5得点を奪われるなどして、0-10で歴史的大敗を喫した。
日本政府は、これまで何度か軍事政権に対して、民主派に対する暴力弾圧の停止、アウンサンスーチー氏ら拘束者の解放、民主的体制の早期回復を求めてきた。また、軍事クーデター後の2021年6月には、衆参両院で軍事クーデターを非難する決議が可決されている。しかし、これらの動きはポーズにすぎず、いまだにODAの既存案件プロジェクトは停止していない。
また、自衛隊はミャンマーの国軍の幹部候補生を受け入れ、留学給付金を支給して訓練を行ってきたが、軍事政権成立以後も続けてきた。これを、国際人権団体が猛批判したため、2022年でようやく受け入れをやめた。ミャンマー国軍の後ろ盾は、中国である。北部の村を空爆で焼き討ちしたのも、中国の支援によるものだった。
映画の中で、潜伏中のコ・パウ監督が、家に残してきたわが子に向かい、「チッデー」(愛しているよ)と、スマホを通して声をかけるシーンがあった。いったいいつになったら、ミャンマーに平和と自由が戻るのだろうか? 私がもう1度、ヤンゴンを訪れる日は来るのだろうか?
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※本コンテンツ「新興ASIAウォッチ」は弊社Webサイト用に特別寄稿して頂いたものとなります。
1952年、神奈川県横浜市生まれ。立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。『女性自身』編集部、『カッパブックス』編集部を経て、2002年、『光文社ペーパーバックス』を創刊し、編集長を務める。日本外国特派員協会(FCCJ)会員。2010年、光文社を退社し、フリーランスに。現在、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の両方のプロデュースを手掛けている。
著書にベストセラーとなった「資産フライト」、「出版・新聞 絶望未来」などがある。
投稿更新日:2024年06月26日
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