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今回は、東南アジアというフィールドをやや離れて、ヒマラヤの山国、ネパールの話をお届けしたい。
4月15日、NYタイムズ紙が、「ヒマラヤの山国ネパール東部の貧しい農村が、日本の紙幣の原料を供給することにより豊かに生まれ変わった」という記事を掲載した。これを読むまで私は、日本の紙幣、つまり千円札や一万円札の原料が「ミツマタ」というジンチョウゲ科の低木であること、そして日本ではミツマタの生産が減少していることを知らなかった。
紙の原料といえばパルプだが、日本の伝統的な紙(和紙)の原材料はコウゾ、ミツマタで、日本の紙幣には主にミツマタが使われている。このミツマタが近年、国内で供給できなくなったため、ネパールから輸入するようになった。その結果、ネパールのミツマタ栽培・生産農家が豊かになったというのが、NYタイムズの記事の概略である。
すでに周知のように、この7月3日からこれまで長年にわたって馴染んできた3種類の紙幣のデザインと顔が変わる。千円札は、破傷風の治療法を開発した細菌学者の北里柴三郎。五千円札は、初の女子留学生としてアメリカで学び津田塾大学を開いた津田梅子。一万円札は“近代日本経済の父”と呼ばれる渋沢栄一だ。
現在、国立印刷局は新紙幣の印刷に入っており、財務省と日銀は発売に際してのATMや自動販売機などの対応を促している。日銀によると、計30億3,000万枚の新紙幣を製造する予定で、紙幣1枚当たりの原価は20.4円という。
そんな中でのNYタイムズ紙の記事だから、じつにタイムリーと思ったが、じつはこの話はすでに日経新聞などの一部のメディアで報道されており、私が知らなかっただけなのだった。
では以下、NYタイムズ、日経新聞、ネパールの現地紙「The Nepali Times」などの記事を参考にして、なぜ日本の新紙幣がネパール産になったかをまとめてみよう。
ミツマタは、中国南西部、ヒマラヤが原産とされ、日本では「山に春を告げる」花として、3月から4月にかけて黄色い花を咲かせる。標高が高く適度な日照と水はけのいいところに自生し、とくに茶の栽培に適した土地ではよく育つという。
ミツマタの名前の由来は、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分かれる持ち前があることで、日本では昔から和紙の原料として使われてきた。ミツマタの枝の繊維質が、和紙の折り曲げや擦りに強い性質をつくるという。
紙幣の原料としてのミツマタは、主に徳島県や岡山県などで栽培・生産されてきた。しかし、近年、生産農家の減少とともに栽培面積が縮小し、それに気候変動も影響して供給量が大幅に減った。そのため、政府刊行物専門書店「かんぽう」(大阪市)では、供給先を海外に求めることになり、ネパールが最適地という結論に達したのである。
かんぽうは、1990年代末から、ネパールでの調査を始め、ヒマラヤの標高1,500〜3,000mによく見られる「アルゲリ」と呼ばれるミツマタと同種の植物に目をつけた。そこで、現地の農家に栽培を委託して生産してみると、これがほぼミツマタと同じ。そこで、本格的に栽培を委託し、2010年に初めて輸入して印刷局に納入した。
以後、輸入は増え続け、ネパール大地震が起こった2015年以後、一時的に減ったものの、その後は急回復した。大地震の後に、かんぽうは首都カトマンズに専門家を派遣し、ネパールの農家を積極的にサポートして、技術指導を行ってきた。
こうしてかんぽうは、ネパール中東部の標高2,000メートル級の山岳地帯に約30カ所の生産拠点を持つまでになった。そこでは、契約農家を通してアルゲリの栽培から収穫、加工までを行っている。枝を蒸して外皮を剥ぎ、一晩水にさらしてから乾燥させる方法は日本独特の技術で、これを現地スタッフが農家に教えている。
アルゲリは、ミツマタと同じ黄色の花を咲かせ、高地の日陰でもよく育つ。ネパールは多民族・多言語の国で、アルゲリは言語によって呼び方が違う。グルン語で「パーチャール」、タマン語で「ワルパディ」、シェルパ語で「ディヤパティ」と呼ばれ、ネパールの人々にもっとも親しまれる花の一つだ。
それが、日本人の手によって、お金を生むようになったのである。ネパールの山岳地帯の農家は、これまでアルゲリのような換金性の高い作物を持たなかったが、アルゲリの栽培・生産で、現金収入を得られるようになったのである。
ドラカ郡でアルゲリを栽培・生産する契約農家のラクパ・シェルパさんは、「アルゲリはこの地域の唯一の輸出品で、この自治体に200万ルピー(約232万円)以上の収入をもたらしてくれています」と、現地紙に語っている。アルゲリにはA、B、Cの3種類の等級があり、価格は1kgあたり100ルピー(約116円)から575ルピー(約667円)。シェルパさんは約40人の農民労働者を雇っているが、栽培・生産には1日1,000ルピー(約1,160円)で2ヵ月間働いてもらっている。また、加工に従事する女性労働者には1kgあたり20ルピー(約23.2円)を払っている。
ネパールのアルゲリは、国産のミツマタに比べると、約4分の1の価格で仕入れられるため、紙幣の製造コストは下がった。一方、ネパールの農家は新しい換金作物を得て、安定収入を得られるようになった。日本のお札を通して、日本・ネパールの「ウイン・ウイン」の関係ができあがったのだ。
現在、かんぽうは国際協力機構(JICA)の支援事業として、ミツマタの加工技術をネパールでさらに普及させ、日本や他の国への販路を拡大することも検討しているという。また、ネパールの手漉き紙協会は、アルゲリと手漉き紙の需要を拡大するために、地元の関係者やデザイナーを対象にトレーニングやワークショップを実施している。
ちなみに、国立印刷局は昨年(2023年)、外国産のミツマタを72トン調達した。このうち60トンがネパール産で、国産の調達量は6トンにすぎなかった。7月から新紙幣を使うとき、ネパールの農家への感謝の気持ちを忘れないようにしたい。
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※本コンテンツ「新興ASIAウォッチ」は弊社Webサイト用に特別寄稿して頂いたものとなります。
1952年、神奈川県横浜市生まれ。立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。『女性自身』編集部、『カッパブックス』編集部を経て、2002年、『光文社ペーパーバックス』を創刊し、編集長を務める。日本外国特派員協会(FCCJ)会員。2010年、光文社を退社し、フリーランスに。現在、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の両方のプロデュースを手掛けている。
著書にベストセラーとなった「資産フライト」、「出版・新聞 絶望未来」などがある。
投稿更新日:2024年04月26日
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