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最近、インドネシアから日本企業に研修に来た2人の若者と話す機会があり、驚かされたことがあった。2人とも、デヴィ夫人を知らなかったからだ。「ああ、その人、テレビで見たことがあります。でもなんでインドネシアと関係があるのですか?」と言うのだ。それで、「あなたの国の独立の英雄で最初の大統領スカルノの夫人だよ」と言うと、「スカルノ大統領の夫人は、ファトマワティです。デヴィなんて聞いたことがありません」と言うので、さらに驚いた。
そこで、よくよく聞いてみると、彼らがデヴィ夫人を知らないのはもっともだった。なぜなら、デヴィ夫人はスカルノの第三夫人だからだ。インドネシアはイスラム国である。ということは、妻は4人まで持てる。つまり、ファトマワティは第一夫人であり、第三夫人のデヴィは、いまのインドネシアの若者にとっては忘れられた存在なのだ。デヴィ夫人(日本名:根元七保子)がインドネシアに渡ったのは1959年、19歳のとき。正式にスカルノ夫人になったのは1962年。スカルノが大統領を追われたのは1965年だから、すべて彼らが生まれる遥か以前の話である。
インドネシアは親日国と言われている。だから、私のような世代の日本人は、インドネシアの親日の理由が、太平洋戦争当時の日本軍の占領統治とその後の独立戦争にあると思ってきた。つまり、インドネシアの今日があるのは、日本がその礎を築いたからだと思ってきた。
しかし、2人の若者はこのことをほとんど知らなかった。例えば、日本の占領時代、今村均将軍がオランダの圧政からインドネシア人を解放したこと。その後、インドネシアが独立戦争をしたとき、残された日本軍兵士がともに血を流して戦ったことなどだ。
「それは歴史の教科書で習いました。ただ、私たちが教えられたのは、最初、日本軍は歓迎されましたが、結局、オランダと同じように私たちを搾取したということです。戦後のオランダからの独立戦争はとても悲惨なものだったと言いますが、日本の兵士たちがそこまでしてくれたとは書いてありませんでした」
この言葉に、私はかなりがっかりした。
ただ、考えてみれば、いまの日本の若者たちでもこんなことは知らないことを思うと、彼らの正直さに隔世の感がした。もちろん、私は戦後世代であるから、当時のインドネシアと日本の歴史を直接知るわけでない。ただ、次のようなことは、ここに書き留めておきたい。
フィリピンやシンガポールでは、日本の占領時代が過酷なものだったと、子供たちに教えている。とくにフィリピンでは、ゲリラによる闘争と日米の直接戦闘が国の中で繰り広げられ、100万人以上の犠牲者が出たので、いまだに反日感情が残っている。
しかし、インドネシアでは直接の戦闘は起きなかった。なにしろ、オランダは日本の侵攻に、たった7日間で降伏している。インドネシアを統治することになった今村均将軍はジャワ島に上陸すると、まずオランダの統治下で独立運動してきた人々を解放した。そうして、日本に協力すれば、将来の独立に向けての援助をすると約束した。この取引に応じたのがスカルノだった。日本軍は、インドネシア人による軍隊(PETA)を創設し、訓練を施した。官僚を育成し、法制度、教育制度などを次々に整備した。農業、漁業、造船、工業、医学などの専門、訓練学校を設置して、3年半で約60万人のエリート層をつくった。
これは、300年以上にわたるオランダの統治とはまったく違うものだった。オランダ人はインドネシアを単なる植民地としか考えず、コーヒーや砂糖の栽培を強制し、現地人にそこでの労働を強いた。また、インド人と華僑を送り込み、彼らにインドネシア人を管理させた。オランダは完全な愚民化政策を取り、現地人の教育はまったく行わなかった。これを、20世紀になって世界から批判されたため、やっと小学校をつくっただけだった。こうしたことの結果、インドネシア人の平均寿命は、一時35歳まで低下したと言われている。
1945年8月15日、日本が連合国に降伏すると、スカルノはすぐに独立を宣言して大統領に就任した。しかし、オランダはこの独立を認めなかった。オランダの副総督ファン・モークはイギリス軍とともにジャワ島に舞い戻った。彼は「日本軍が去った以上、インドネシア人はまた元通り従順になるに違いない」と考えていた。
ところが、その予想は完全に外れ、独立軍となったPETAは、日本軍から渡された武器で激しく抵抗した。また、残された日本兵数千人も独立軍とともに戦った。ジャカルタ郊外のカリバタ国立英雄墓地行くと、こうして命を落とした日本人兵士32人が祀られている。
1946年11月、イギリス軍は撤退した。しかし、オランダは諦めなかった。翌1947年7月、オランダは独立軍に対する大規模な攻撃を開始した。戦車、飛行機とともに、約12万人の兵士が投入された(第一次攻撃)。この結果、オランダ軍はジャワ島の大部分と、スマトラ油田地帯などインドネシアの主要部分を占領した。しかし、この侵略は世界中の避難を浴び、成立したばかりの国連安保理は、「即時停戦」と「平和的手段による解決」を求める決議案を採択した。
国連に勧告されても、オランダはこれを無視。占領地からの撤退を拒否し、1948年12月になると、空軍と空挺部隊を投入した第二次攻撃を開始した。この第二次攻撃で、インドネシア各地の都市はオランダ軍の無差別爆撃にあい、多くの犠牲者を出した。この事態を憂慮した国連安保理は、今度はオランダに対してインドネシアから撤兵を求める決議案を採択した。また、アメリカは、当時、欧州に対して行っていたマーシャルプラン(復興援助)をオランダに対して停止すると発表した。
こうしてオランダは、とうとう兵を引かざるをえなくなった。ただ、オランダ勢力がインドネシアから完全に去ったのは1950年になってからである。こうして、インドネシア独立戦争は4年以上も続いた。インドネシア人によるインドネシア共和国が樹立されたのは、1950年8月15日。独立戦争におけるインドネシア人の死者は約80万人、負傷者は1000万人に達した。
ところが、オランダは一切謝罪しなかった。なぜなら、この戦争はオランダにとっては「戦争」ではなく「警察行動」(治安維持)だったからだ。そのため、この戦争で費やした費用の弁済をインドネシア政府に求めた。さらに、オランダ人官吏への恩給支給、オランダ人所有の不動産の権利承認などを要求した。
この理不尽な要求を、なんとインドネシア政府は独立と引き換えに受け入れた。そして、15年間耐えに耐えて、1963年になって、オランダの要求を否認する声明を出した。当時の外相ルスラン・アブドルガニーは、こう言ったと伝えられている。
「インドネシアはやっと国力がついた、だから、オランダとの約束を反故にできた。この力をくれたのは日本です」
以上が、私が知るインドネシア独立戦争である。その後、インドネシアでは共産主義クーデターが起こり、それ鎮圧をしたスハルトが実権を握り、スカルノは追放された。日本政府は、スハルト体制が発足するとともに大規模なODA援助を開始した。ところが、1975年、田中角栄首相の訪問時に「反日デモ」が発生(マリ事件と呼ばれる)した。この事件の真相はわかっていないが、1977年に福田赳夫首相が「福田ドクトリン」(ASEANと日本は対等なパートナーであり、信頼関係を構築しASEANの平和と繁栄に寄与する)を発表した後は、日本とインドネシアの関係は良好になった。
いまやジャカルタには数多くの日本企業のビルが立ち並び、郊外を結ぶ鉄道には日本の電車がそのまま走っている。インドネシア人の若者2人に、日本企業と日本人の印象を聞くと、こんな答えが返ってきた。
「日本人は規律正しいうえ、約束を必ず守ります。それに時間に遅れません。ただ、残業が多くて仕事をしすぎだと思います。それに、みなさんお酒が大好きです。私たちはイスラムなので基本的にお酒が飲めません。日本人が外で楽しくお酒を飲んでいるのを見ると、うらやましいです」
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※本コンテンツ「新興ASIAウォッチ」は弊社Webサイト用に特別寄稿して頂いたものとなります。
1952年、神奈川県横浜市生まれ。立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。『女性自身』編集部、『カッパブックス』編集部を経て、2002年、『光文社ペーパーバックス』を創刊し、編集長を務める。日本外国特派員協会(FCCJ)会員。2010年、光文社を退社し、フリーランスに。現在、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の両方のプロデュースを手掛けている。
著書にベストセラーとなった「資産フライト」、「出版・新聞 絶望未来」などがある。
投稿更新日:2016年09月23日
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