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【新興ASIAウォッチ/第137回】シンガポールの競馬はどこに行く?

東南アジアの競馬レベルは昔の日本以下

じつは、筆者は競馬ファン。これまで、日本のみならず、世界の多くの競馬場に足を運んできた。現在、日本馬は、世界中のビッグレースで好成績をおさめているが、これは筆者にとっては夢のような出来事である。なぜなら、筆者が取材機会を得て競馬場通いを始め、競馬に夢中になっていた時代、日本馬は海外馬にまったく歯が立たなかったからだ。

日本初の国際レース「ジャパンカップ」が始まったのは1981年。その第1回のジャパンカップで、日本のトップホースたちは、アメリカからやってきたG2レベルの牝馬に簡単に敗けてしまった。しかも、勝ち馬メアジードーツは東京競馬場のレコードを1秒も更新した。

それを思うと、いまの東南アジアで行われている競馬は当時の日本以下、ほとんど「草競馬」と言っていい。残念ながら、東南アジアには、ワールドクラスの競馬場もレースもない。世界でも有数の経済発展地域なのに、これはさみしいことである。

衝撃的だったシンガポール競馬の廃止

東南アジアのASEAN10ヵ国で、現在、いわゆる馬券発売があるサラブレットによる平地競走が行われているのは、マレーシア、タイ、フィリピン、ベトナムだけである。ただし、ベトナムは休止中だ。それ以外の国でも競馬はあるにはあるが、ローカルの草競馬にすぎない。

そんな中、東南アジア地域で唯一、国際標準の競馬が行われてきたのがシンガポールである。しかし、昨年(2024年)10月をもって廃止されてしまった。

約2年前、シンガポールの競馬が廃止されるという話を聞いたときは耳を疑った。たしかに、近年、シンガポール競馬は精彩を欠いていたが、クランジ競馬場は2000年にオープンした新しい競馬場だし、これまで国際G1に認定された「シンガポール航空インターナショナルカップ」と「クリスフライヤースプリント」という2つのビッグレースも行われてきたからだ。

ただし、この2つのレースは2015年に廃止され、それとともに競馬の人気、売上は次第に落ちていった。それに追い打ちをかけたのが、オンラインによるスポーツベッティングの興隆と、マリーナベイサンズのようなビッグカジノの出現である。そして、2020年に新型コロナのパンデミックが起こると落ち込みは決定的になり、廃止が決まったのだという。

英国発祥シンガポール競馬の黄金時代

シンガポールは英国の植民地だったから、19世紀から競馬が行われてきた。1842年、「シンガポールターフクラブ」(STC)がつくられ、英国商人たちが競馬を楽しむようになった。これは、幕末明治期に、横浜で根岸競馬場がつくられて競馬が始まった日本より20年以上も早い。STCはその後、マレーシア各地の競馬クラブと統合され、「マラヤン競馬協会」(MRA)となり、現在にいたっている。

シンガポールの競馬が、世界標準になったのは、日本のジャパンC創設から約10年後、コロニアルチーフが第2回香港カップで優勝してからだ。香港は日本と並んで、アジア地域での競馬先進国である。世界の競馬は、その国の競走馬のレベルから、IFHA(国際競馬統括機関連盟)によってパート1〜3に格付けされており、香港と日本はパート1、シンガポールはパート2だった。

クランジ競馬場の跡地は公営住宅が建つ

シンガポールの競馬の黄金時代は、クランジ競馬場でサラブレットが疾走していた21世紀初頭の十数年間である。売上のピークは2012年で、約10億シンガポールドル(約1,050億円)、出走現役馬は約1,600頭に上った。

クランジ競馬場は、じつは日本とは関係が深い。2006年にはコスモバルク、2007年にはシャドウゲイトが「シンガポール航空インターナショナルカップ」を制覇している。また、ホッカイドウ競馬でリーディングトレーナーとなった後、シンガポールに移籍して厩舎を開設した高岡秀行調教師は、シンガポールダービーを2度も制するなど大活躍をした。

シンガポール政府によると、今後、クランジ駅馬場は解体され、広大な敷地に公営住宅が建設されるという。また、エンターテインメント施設、コミュニティ施設も建設され、近隣の野生動物公園や湿地保護区などの観光拠点になるという。そのため、将来的に競馬を復活させることはありえないという。

最大の受け入れ先、後継国はマレーシア

では、シンガポールの競馬をこれまで支えてきた競走馬、調教師、騎手たちは、今後、どうなるのか? そして、シンガポール競馬を、今後、引き継ぐ国はあるのだろうか?

聞いたところによると、多くは、現在、「マラヤン競馬協会」(MRA)傘下の3つのターフクラブが運営する競馬場があるマレーシアに行くという。

首都クアラルンプールの「セランゴール・ターフクラブ」が運営するセランゴール競馬場では、厩舎を増設して最大で約300頭の競走馬と、調教師、厩務員をシンガポールから受け入れるという。第3都市イポーの「ペラ・ターフクラブ」が運営するペラ競馬場、リゾート地ペナン島の「ペナン・ターフクラブ」が運営するペナン競馬場も、セランゴールほどではないが受け入れる計画があるという。

しかし、マレーシアの競馬はサラブレットの平地競走ではあるが、レベルが低い。一応「パート2」認定国だが、国際Gレースはなく、国内格付けのGレース(リステッド競走と認定)と一般レースだけである。また、シンガポール同様、サラブレッド生産は行われていないので、競走馬はほぼすべてオセアニアからの輸入馬で、馬齢は南半球式に数えられる。

マレーシア以外の受け入れ先と後継国

マレーシア以外にも、受け入れ先候補地はあった。ただ、その一つのマカオは昨年、シンガポール同様、競馬を廃止した。また、競走馬の母国オーストラリア、ニュージーランドは、「パート1」国であり、シンガポールの競走馬レベルでは辛いものがある。UAE、カタール、サウジアラビアも候補地だが、同じくレベルが高い。

競馬場が7つもあり、サラブレッドの平地競走を行なっているタイも後継国になりえるが、こちらは逆にレベルが低い。牧場もあって馬産も行っているが、人工授精をやっていたため、国際血統書委員会から中止勧告が出され、生産馬はサラブレッドと認定されなかった。ただ、昨年、やっと認定を得て、観光振興と合わせて競馬に投資する動きが出ている。

そんなこんなで、現在、新しい競馬場を建設し、競馬振興に乗り出したフィリピンに、東南アジアの競馬関係者は大いなる期待を寄せている。

期待されるフィリピンの米国式ダート競馬

フィリピンでは、マニラのサンラザーロ競馬場、サンタアナパーク競馬場の2つの競馬場を中心に、これまで競馬が行われてきたが、そこに、今年、もう1つの競馬場が加わろうとしている。

観光地バタンガスのパドレ・ガルシア競馬場である。すでに建設は終了しており、オープンを待つばかりのこの競馬場は、ケンタッキーダービーが行われるチャーチルダウンズをモデルにした米国式のダートの競馬場。コース1周1,600m、1,200馬房、1,400頭の競走馬を収容できる。ちなみに、フィリピン競馬はすべて米国式のダート競馬だ。

フィリピンは、じつはサラブレッド生産国だが、頭数は年間わずか300頭~400頭。競走馬の大半は、アメリカで購入されている。それが、新競馬場ができたので、今後は、オセアニアからの購入も増えると期待されている。そうなれば、競走馬のレベルも上がるし、レースも充実するだろう。

シンガポール競馬がなくなり、東南アジアの競馬は本当にさみしくなった。しかし、ここは世界でも有数の経済発展地域である。競馬は経済の発展とリンクする。今後また、この地域で国際Gレースが行われる日を待ち望みたい。

新興ASIAウォッチ/著者:山田順

新興アジアとは、ASEAN諸国にバングラディシュとインドを加えた地域。現在、世界でもっとも発展している地域で、2050年には世界の中心になっている可能性があります。そんな希望あふれる地域の最新情報、話題を伝えていきます。
※本コンテンツ「新興ASIAウォッチ」は弊社Webサイト用に特別寄稿して頂いたものとなります。

山田順(やまだ じゅん)

1952年、神奈川県横浜市生まれ。立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。『女性自身』編集部、『カッパブックス』編集部を経て、2002年、『光文社ペーパーバックス』を創刊し、編集長を務める。日本外国特派員協会(FCCJ)会員。2010年、光文社を退社し、フリーランスに。現在、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の両方のプロデュースを手掛けている。
著書にベストセラーとなった「資産フライト」、「出版・新聞 絶望未来」などがある。

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投稿更新日:2025年01月29日


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