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【新興ASIAウォッチ/第106回】マルコス・ジュニア大統領誕生でどうなるフィリピン

かつての独裁者の息子が大統領選を圧勝

選挙前の世論調査から予想されていたこととはいえ、フィリピンの新大統領に、あの独裁者マルコス元大統領の息子フェルディナンド・マルコス・ジュニア氏(通称「ボンボン」、64)が当選したことは、いまも大きな驚きである。

5月9日の大統領選挙では、2位候補に3倍以上の大差をつけて圧勝。5月25日、議会上下院の合同委員会が承認したため、ボンボン・マルコス氏は正式に大統領の座に就くことになった。フィリンピン大統領の任期は6年。よって、2028年6月までフィリピンでは「マルコス王朝」の治世が続く。

はたして、ボンボン・マルコス氏は、父親と同じように専制体制を敷くのだろうか?
なにより、今後、フィリピンをどう導いていくのだろうか?

まだなにも見えてこないが、ひとつだけはっきりしていることがある。それは、マルコス元大統領の夫人で、「女帝」と言われたイメルダ夫人の高笑いが聞こえてくることだ。かつて、民主革命によって「マラカニアン宮殿」(大統領官邸)を追われた彼女は、92歳になったいまも健在である。

汚職、賄賂、麻薬が横行する独裁国家

それにしてもなぜ、かつての独裁者の息子が権力を握れたのだろうか?
かつてマルコス時代に、フィリピンの国民がいかに苦しんだかを知る人間にとっては、この結果は到底理解できない。

ボンボン・マルコス氏の父、マルコス元大統領は、1965年に大統領に当選。その後、大規模なインフラ整備を進めて、フィリピンの経済発展を主導した。しかし、その過程で共産主義を抑制するという名目で独裁体制を築き、多くの無実の民衆を投獄・拷問した。大統領府に権力と富を集中させ、私腹を肥やしたため、貧困は解消されず、結局、経済発展も止まった。

1970年代の半ばから1980年代半ばにかけてのフィリピンは、汚職と賄賂だらけの国だった。私が知る限り、東南アジア諸国の中でフィリピンが最も賄賂が横行していた。警察に捕まっても、金を払えばすぐ釈放された。マニラにはスラム街があり、犯罪が多発、麻薬が蔓延していた。

民衆デモで宮殿を追われ国外逃亡

日本がバブル経済に湧いていた1986年、ついにフィリンピンの国民の不満が爆発した。首都マニラで立ち上がった民衆の数は100万人以上に上り、「ピープルパワー」と呼ばれた。それは、一種の市民革命、民主化運動で、最終的に抗議デモはマラカニアン宮殿を取り囲んだ。

私の知り合いの記者やジャーナリストは現地に飛び、その模様をテレビの生中継で伝えた。ところが、デモ隊が大統領官邸に突入する数時間前に、マルコス大統領一家はアメリカ軍のヘリで脱出していた。その後、一家はハワイに向かい、アメリカに亡命した。もちろんこの時、ボンボン・マルコス氏も一緒だった。

主人がいなくなったマラカニアン宮殿には、イメルダ夫人の豪華なコレクションが残されていた。高級ブランドの靴が1,065足、高級ブランドのハンドバックが888個、ミンクのコートが15着などで、これがメディアで大きく取り上げられたため、国民の怒りが増幅した。

マルコス一家がフィリピンに戻れたのは、1989年にマルコス元大統領が死去した2年後の1991年。しかし、イメルダ夫人は脱税、贈収賄などの容疑で逮捕され、保釈金を払うことで釈放された。その後、彼女は大胆にも大統領選に立候補したが、落選した。しかし、息子のボンボン氏はイロコス州の州知事や上院議員に当選して、父親の後を追った。そしてとうとう、父親と同じ大統領になり、イメルダ夫人は大統領の母になったのである。

若者たちが熱狂する大統領選挙

フィリピン人は、過去になにがあったのか忘れてしまったのだろうか?
それとも、どんなことでも水に流すという特異な体質を持っているのだろうか?

フィリンピンの選挙は、日本の選挙とはまったく異なる。とくに大統領選挙は、アメリカ大統領選挙よりもはるかに盛り上がり、タレントの人気投票のような熱気を帯びる。選挙集会では有名タレントが司会をやり、人気芸能人、人気歌手が登場してパフォーマンスを繰り広げる。街には候補者のポスターが溢れ、コンビニでは候補者の写真が印刷されたカップが置かれ、飲み物はそのカップに入れて販売される。

このような選挙運動を行っているのは主に若者たちで、日本と違って若者たちは積極的に選挙に行く。フィリピンの国民の平均年齢は26歳。この国には「シルバー民主主義」は存在しない。

今回の選挙には、多種多様な10人の候補者が立候補し、その中には国民的な人気を誇る元プロボクサーで上院議員のマニー・パッキャオ氏(43)や、副大統領でありながらドゥテルテ政権の強権的な姿勢を批判してきた女性弁護士のレニー・ロブレド氏(57)などがいたが、いずれも若者票を集められず、ボンボン・マルコス氏に大差をつけられたのである。

過去を虚飾しSNSで徹底して訴える

なぜ、若者たちはボンボン・マルコス氏を選んだのだろうか?
それは、彼らがSNSで洗脳されてしまったからだという説が有力だ。フィリピン人のネット利用時間は1日10時間にもおよび、東南アジア諸国でダントツだという調査がある。

ボンボン・マルコス氏はこれを利用し、他の候補者との政策論争集会などにいっさい参加せず、徹底してSNSで支持を訴えた。YouTubeのチャンネル登録者数は220万人を超え、フェイスブックのフォロワー数は580万人に達した。そこで彼は、難しいことはほとんど言わず、映像と音楽で明るい未来を示し、父親がいかにフィリピンに貢献したかを言い続けたのである。

ボンボン・マルコス氏が語った父親の業績はすべて政権初期のもので、その後の独裁にはまったく触れなかった。しかも過去を虚飾し、事実を捻じ曲げたのである。

たとえば、彼は歴史の教科書を否定した。
「教科書には、私の父があれを盗んだ、あんなひどいことをしたと書いてあるが、こうした主張はすべて裁判では証明できずに真実ではなかったという判決が出ています。これらは政治的なプロパガンダだ」

こうした主張を若者たちは鵜呑みにしたという。しかし、実際はマルコス一家の汚職、不正蓄財、人権侵害は明確な証拠に基づき、裁判でも有罪の判決が下されている。

背景にある深刻な貧富の格差

もうひとつ、ボンボン・マルコス氏が若者に支持された理由として挙げられているのが、いまだになくならない貧困と格差の拡大だ。2010年からのアキノ前大統領の6年間とその後のドゥテルテ大統領の6年間で、フィリピンは順調に経済発展を遂げてきた。

1人あたりのGDPは2009年には1,851ドルだったが、2021年には3,576ドルに達した。とはいえ、この額はASEAN主要国の中ではまだまだ低い。シンガポールの6万4,582ドルを別格として、マレーシア1万1,239ドル、タイ7,274ドル、インドネシア3,894ドルとなっている。

しかも、所得分配の不平等さの指標「ジニ係数」では、フィリピンは社会が不安定になるとされる0.4を超えている。マレーシアもタイも0.4以下である。マニラにはまだスラムがあり、貧困地域も点在している。また、マニラ首都圏と地方の格差も大きい。これが、ここ2年間余のコロナ禍で拡大した。

見えない経済政策と懸念される対中政策

フィリピン経済は、コロナ禍が深刻だった2020年に記録的な9.6%のマイナスを経験した。その後、2021年にプラス5.6%と回復、今年はプラス6.1%が期待されている。しかし、ウクライナ戦争が起こったため、先行きは暗い。フィリピンは石油を中心としたエネルギー資源の純輸入国のため、ロシアの経済制裁による影響が大きいのだ。

いまのところボンボン・マルコス氏は、これといった政策を打ち出していない。副大統領選を同様に圧勝したドゥテルテ大統領の長女サラ氏(43)を教育相に任命することを表明しているので、ドゥテルテ政権が推進したインフラ整備計画や麻薬取り締まり対策などは継続する見通しだが、経済対策に関しては具体策が示されていない。

そんな中、日本にとって懸念されるのが対中政策である。これまでの言動から、中国寄りだったドゥテルテ大統領の対中政策を継承すると思えるからだ。大統領選に圧勝したボンボン・マルコス氏が他国に先んじて電話会談したのが、中国の習近平国家主席だった。

「ニノイ・アキノ国際空港」が変わる

はたして、ボンボン・マルコス新大統領によって、今後、フィリピンはどうなっていくのだろうか?
日本企業は現在、様子見といったところだ。投資家も同じである。ただ、最後に一つ、今後、確実に変わる可能性があることを述べておきたい。

現在、マニラ国際空港は「ニノイ・アキノ国際空港」と呼ばれている。この名称が、ほぼ間違いなく「マルコス国際空港」に変更されると噂になっているのだ。ニノイ・アキノの「ニノイ」は、マルコス元大統領の政敵だったベニグノ・アキノ氏の通称である。ベニグノ・アキノ氏は、国民に広く人気があり、独裁者マルコス元大統領にとって脅威だった。そのため、アメリカに追放されたが、1983年に帰国した際、マニラ国際空港で暗殺された。

この暗殺に関してはイメルダ夫人にも容疑がおよび、マルコス独裁政権崩壊の引き金を引く事件となった。マルコス政権が崩壊後、ベニグノ・アキノ氏の妻、コラソン・アキノ氏(コリー)が大統領選に出馬し、メディアは「夫を殺された女が復讐を果たす」と騒いだ。その結果、コラソン・アキノ(通称コリー)がフィリピン大統領に当選したのである。

このような歴史を私の年代の人間は生々しく記憶しているが、フィリンピンの若者たちはハナから知らないのかもしれない。

新興ASIAウォッチ/著者:山田順

新興アジアとは、ASEAN諸国にバングラディシュとインドを加えた地域。現在、世界でもっとも発展している地域で、2050年には世界の中心になっている可能性があります。そんな希望あふれる地域の最新情報、話題を伝えていきます。
※本コンテンツ「新興ASIAウォッチ」は弊社Webサイト用に特別寄稿して頂いたものとなります。

山田順(やまだ じゅん)

1952年、神奈川県横浜市生まれ。立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。『女性自身』編集部、『カッパブックス』編集部を経て、2002年、『光文社ペーパーバックス』を創刊し、編集長を務める。日本外国特派員協会(FCCJ)会員。2010年、光文社を退社し、フリーランスに。現在、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の両方のプロデュースを手掛けている。
著書にベストセラーとなった「資産フライト」、「出版・新聞 絶望未来」などがある。

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投稿更新日:2022年05月27日


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